晴れたらいいねの昔は晴れたか

ドリカムの吉田美和は、一文が長い歌詞を作らせたら右に出る者はない、と思う。
その持ち味がいかんなく発揮された名曲、「晴れたらいいね」の、最初の一文は、こうだ。

山へ行こう 次の日曜
昔みたいに雨が降れば川底に
沈む橋越えて

歌うとき間が空くところで改行した。
さて、これを何となく聴いてると、
昔 山へ行ったときは、雨が降ったように聞こえる。
何の疑問も持たずに、そう受け取っている人が多いような気がする。
でも、本当にそうだろうか?
想像してほしい。雨が降れば、その橋は、川底に沈んでいるのだ。
ちょっとそれは、幼稚園児を連れてハイキングを楽しむには、厳しい条件なのではないか。


たぶん本当は、この文の意味的な区切りは、次のようになっている。

山へ行こう [次の日曜] [昔みたいに]
[ [雨が降れば川底に沈む橋] 越えて]

「昔みたいに」は、「雨が降る」にかかっているのではなく、「山へ行こう」にかかっている。
「雨が降れば川底に沈む橋」は、その橋の一般的な性質を述べただけで、特定の雨の日に言及したわけではない。
つまり、昔 山へ行ったときは、たぶん、雨など降っていなかったのだ。


じっさい、この歌の歌詞カードは、

山へ行こう 次の日曜 昔みたいに
雨が降れば 川底に沈む橋越えて

のように改行してある。
まあ、他の箇所を見ると、必ずしも意味の区切りで改行してはいないので、
改行だけを根拠に「昔は雨は降っていない」とは言い切れないのだが、
ここについては、普通に聴くと昔雨が降ったように聞こえることを知っていた吉田美和が、
その誤解を避けるために、あえてこの位置で改行したような気がする。