姑息2

昨日の続き。
なぜ「姑息」が「卑怯」の意味だと誤解されるのかについて、私なりに憶測してみた。

  • 使われる状況、被修飾語 - 「姑息な」がかかる名詞 (正しい用法で) は、「手段」「言い訳」「対処」など、比較的限られている。これらに関して「姑息」すなわち一時しのぎであるということは、同時に卑怯な感じでもある場合が多い。意味的な親和性がもともと高かったと言える。

しかし、それだけでこんなに誤解が蔓延するはずはない。もしそうなら他の日本語も間違いだらけになってしまうだろう。
そこで他の原因も考える。

  • 発音 - 「こそく」という発音は、「こそこそ」に酷似している。あと、「小癪な」にも似ている。「こぞう、こそこそと小癪な...。」みたいな時代劇的シーンが頭に浮かぶ。「姑息」は発音で損しているのだ。
  • 字面 - なにしろ「姑 (しゅうとめ) の息」である。しゅうとめというと、(卑怯とはちょっと違うが、) イヤミな人のイメージがある。「あぁ、マチコさん、こんなところにもホコリが」みたいなホームドラマ的シーンが頭に浮かぶ。「姑息」は文字でも損しているのだ。(ただし、昨日引用した辞書の説明にあるように、「姑息」の「姑」はしゅうとめのことではないらしい。)

これらの発音、字面から受けるネガティブイメージが重なって、「姑息」は「卑怯」のレッテルを貼られたのだ、というのが私の推測である。
それにしても、これだけ蔓延している間違いなのに、識者が話題にしているのを聞いたことがないのも、ちょっと不思議である。